i n n e r l i f e 0 2 Son's sickness | ||
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【高インスリン血性低血糖症】闘病記 1998年頃のお話です。 当時書いた文章を、そのまま置いておきます。 僕は父親になった。 この日の早朝、妻が僕に、「水が出てる...」と訴える。破水だった。 パジャマのまま妻を車に乗せ、産婦人科へと向かう。 逆子だったこともあり、帝王切開で13時45分出産。感無量。 北陸の冬には珍しく、空はきれいに澄み渡っていた。 誕生2日目、午前1時ごろ、産婦人科から、僕に電話があった。 「お話があるので、至急病院まできてください。」と。 病院に着くと、先生から子供の様子が伝えられる。 ・痙攣(けいれん)を起こしている。 ・体温が異常に下がっている。 低血糖の症状だそうだ。 この病院では充分な検査ができないため、日本赤十字病院へ入院することになった。 日本赤十字病院での検査の結果もやはり低血糖だった。 母胎が高血糖の場合などには、たまにこういった症状が出ることがあるらしい。 しかし、僕の妻はそうではない。 低血糖というのは、膵臓(すいぞう)からインスリンが出過ぎることによって起こる。 なぜこの子がそうなるのか、原因はわからない。 日本赤十字病院では、ベビーセンターに入院した。 面会時間は、13:00から16:00までで、母親から直接の授乳もこの時間内しかできない。 妻は、この時間以外に与える母乳を、一生懸命搾っていた。 脳や神経組織を形成するためには、糖分が必要になる。 欠乏すると将来、発達障害や、知能障害などの症状が出る危険性がある。 血糖を下げないためには、栄養をたくさん摂取しなければならない。 そのため、口からお乳を飲めないときは、点滴をして糖分を補給したり、鼻に管を入れ、そこからお乳を注入したりした。 それでも血糖は安定しないため、インスリンの分泌を抑える薬を服用することになる。 ジアゾキサイトという薬品で、日本ではまだ、認可がされていないそうだ。 この薬の副作用で、だんだん体毛が濃くなっていく。 最初は、額の産毛が濃くなり、手や足、背中にも黒い毛が目立ってくる。 にもかかわらず、相変わらず血糖値はなかなか安定しない。 内科的な治療では、対処できないかもしれない。 京都大学付属病院へ移ることになる。 ここでは、小児科への入院になるため、妻も一緒に京都へ行くこととなる。 妻は、今までとは違い、息子とずっと一緒に入れるだけでも幸せなようだ。 付き添いは、代わってあげたくても、母乳が出ない僕では代わりようがない。 大変だが、がんばってほしい。 母親の重要さを改めて実感する。 ここでも最初は、薬の投与による内科的な治療を試みた。 が、根本的な解決にはならない。 結局、膵臓を摘出する手術をする事になったが、問題点はあった。 インスリンは、出過ぎても困るが、出ないのも困る。 高血糖になるからである。 糖尿病の可能性も出てくる。 しかし、どれだけ摘出していいかはわからない。 切って、様子を見るしかない。というのだ。 また、膵臓の先についている、脾臓(ひぞう)を残さなければならない。 このため、非常に細かい作業を必要とするそうだ。 手術は6時間にわたり行われ、85%の膵臓が摘出された。 術後の経過は順調で、血糖値も安定してきている。 反対の高血糖の心配もなさそうだ。 傷口も驚くほど治りが早い。 膵臓の組織解剖の結果、異常な細胞は見つからなかった。 なぜ、低血糖が起こるのか、原因はわからない。 これで安心。と、思っていたところ、また血糖が下がってきた。 2度目の手術になる。 この手術は1度目よりも細かい手術となる。 膵臓の頭のところには胆管が通っており、これを傷つけてはならない。 また、高血糖の危険性も高くなる。 僕たちの不安は募るばかりだ。 2度目の手術も6時間にわたり行われた。 膵臓全体の95%を摘出したことになる。 今回も高血糖の心配はなさそうだ。 今回摘出した膵臓の組織解剖の結果、異常な細胞が見つかった。 傷口は少々化膿し、抗生剤を投与するための点滴はしているが、経過は順調だ。 ジアゾキサイトの服用も必要なくなった。 傷口も良くなり、福井の日本赤十字病院に戻ることができた。 後は、お乳をしっかり飲んで、離乳食をしっかり食べれば大丈夫だ。 傷口が少し化膿していたが、抗生剤を点滴で投与し、きれいに治った。 外泊が認められ、生まれて初めて家に帰ってきた。 病院とは、環境が全く違うため、なかなか安心できないようだ。 お母さんがいないと不安なようだ。 血糖は安定している。 でも、ちょっと疲れたようだ。 2回目の外泊後、ようやく、待ちに待った退院。 息子よ、おめでとう。 我が妻よ、ご苦労様。 ・ ジアゾキサイトの副作用で生えていた“毛”ですが、服用を止めると、普通に戻ります。 ご安心を。 その後、3歳数ヶ月まで、夜は鼻から管を入れて、寝ている間の栄養補給をする毎日が続きました。 風邪をひいて、吐き戻しが止まらないようなことがあれば、すぐに入院。。。 食事の管理は大変でした。血糖値を上げるために、たくさん食べさせないと…っていう焦りがありました。 それと、保育園や、学校に入るときも、いろんな手続きが大変でした。 長男は、「特定慢性疾患」というお墨付き?をいただいてまして、この病気にかかる費用(病院への支払い)は、全額免除(血糖値チェック用のセンサーや、針などは、自己負担)でしたが、いざ学校となると、厄介です。 受け入れる側としては、子供を預っている間に、何か起こるのではないか?と、不安に思うのは理解できますが。。。 保育園(公立)では、妻が毎日お昼に、血糖値をチェックしに行ってました。 辛かったけど、ボクたち家族にとっては、それが当たり前の生活。 長男は、糖尿の心配は付きまといますが、今ではすっかり元気です。 もう、どこが悪かったの?っていうくらい。 追追記 幼稚園・小学校(併設)に入ってからは、糖分補給用の“おやつ”を持参していました。 一般の児童から、「なんで○○くんだけ、おやつ食べるのぉ〜」って言われないように、保健室で補給させてもらってました。 担任の先生・保健の先生には、様子がおかしかったら、すぐ家に連絡しもらいました。 小学校での体育の授業(特にプール)とか、心配しましたが、なんとかやっていけているようで、ほっとしています。 最近は、血糖値も60以下になることも無いので、おやつは無しです。。。 学校に行くようになると、運動量も増えて、自然に食事の“量”も増えてきました。 今では、大人と同じくらいの量をたいらげます。。。 でも、小さいときから、とにかく食べてもらいたかったので、好きなものばかり与えていたせいか、好き嫌いは多めですね。(- -; |
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